とうつきの本棚

本に纏わることの記録。

『四月になれば彼女は』川村元気

一年後に結婚式を控えた精神科医・藤代の元に、大学時代の恋人・ハルからエアメールが届いた。失った恋を思い出しながら、愛しているのかわからない婚約者と式の準備を進めていくが――。

 

うーん、苦手だった。

第一に自己が無くはっきりしない主人公の男を筆頭にキャラクターに魅力を感じない、第二に文章とソリが合わない。

以下は藤代が自身の父親を評した文章だが、まるっと藤代自身に当てはまる。

知的で人当たりが良く、地元の人たちから愛されていた。だが彼は人間に対して白けきっていた。どこかで決定的に絶望しているように思えた、いつも必要とされる言葉を発し、求められる笑顔を見せたが、そこに愛を感じなかった。家族に対してもそれは同じだった。(文庫版p.60)

大人になった彼は何事にも心を動かされず、当たり障りのない暮らしと会話をただ繰り返すだけ。婚約者の弥生との会話も淡々と続けるラリーのような有り様である。弥生とのソファーの会話が苦しくなった。

「前に相談した、ソファをそろそろ買い換えようって話」
「そんな話してたっけ?」
「してたよ。全然聞いてないんだから」
「そう?」
「いっつもそうだよ」
「まあ確かに、同じような話ばっかりしてるな」
「聞いてくれないから、同じ話が続いてるの。わかってる?」
 ごめん、と笑って藤代は口をゆすぐ。(文庫版p.44)

……こいつ、全っ然話を聞いていないしその自覚もない!微塵も悪いと思ってない!!

婚約者の妹の発言にも強く同意したい。

「(前略)自分のどこが悪かったかきちんと説明できる?口あたりのいい反省の言葉を条件反射で言っているようにしか見えないけど」(文庫版p.202)

表面上うまくやり繰りしているだけで、そこに心がない。弥生は結構SOSというか、自分たちの関係を問うような言葉を投げかけているのに、表向きの会話を続けるだけの返答しかせず、弥生の心情に全くの無関心。読んでてイライラする。なんだこいつ?

9年前に別れた恋人に突然手紙を送りつけてくる(しかも外国で男性に口説かれた話なんかを書く)ハルも、だんまりなまま逃げてばかりの弥生も、引っかき回すだけ引っかき回した大島も、魅力的とは言いづらい。唯一、婚約者の妹・純は当初で印象最悪だったのが、物語後半に掛けて魅力が増した。何も言わずに去る人が多いなか、ずばずば物言う姿勢はよく見える。

 

もう一つの苦手ポイント、文章とソリが合わないのは、その巧拙ではなく私の好みの問題もある。私は、村上春樹や森見登美彦が読みづらくて苦手だ。本作の川村元気の文章も、好みではないだけかもしれない。

一方で、小説で一般的ではない書き方がされているとも思う。物語は藤代視点で進むのに、地の文で彼自身が「藤代」と書き表されたり、「煉瓦造りの建物の合間を縫いながら、藤代は歩く。(文庫版p.91)」など行動が外側からの視点で描かれたりする。一人称小説の視点なのに、三人称小説みたいな書き方だ。でも、他の登場人物は「ハル」「弥生」「松尾」「タスク」と藤代視点の呼び名で描かれる。やっぱり一人称小説っぽい。このちぐはぐさが気になった。

また、会話文と風景描写が細かく交互に連なるので、どちらにと集中できない。これが藤代の会話への集中力の無さ(眼の前の会話に注力できず、つい周囲に目をやってしまう性質)を表しているなら、上手い文章なのかもしれない。それでも、読者が読みづらいことはたしか。

 

あとあれ、藤代は様々なことへの興味関心が薄いのに、女性の足とか首を流れる汗とかお酒で色づいた胸元とか見すぎ。描写が舐め回すような視線を感じてキモい。同僚の後輩女性が藤代視点の地の文で「奈々」と書かれているのもキモい。同僚女性を下の名前で認識してるの…?

 

ストーリーも特段盛り上がらず、へーって感じで終わる。藤代は一応動き出したけど、まだ自分の中で納得しているだけで、相手と向き合えるのかは未知数。病気ネタもありがち。なにに感動すればいいの、これ?

中盤から読み切るためだけにダッシュで読み流した。映画化されるほど絶賛されているのか謎すぎて、読み終わった直後にレビューサイトを見た。賞賛する声に混ざってつまらないという人もいて、自分だけじゃないとホッとした。まあ、映像化したら美しいだろう外国の風景は多いね。

世間で評判だけどおもしろくない小説を読んだ、という経験にはなった。

 

  • タイトル:四月になれば彼女は
  • 著者:川村元気
  • 出版社:文春文庫
  • 読んだ日:2024年5月▽
  • 経路:職場の人から借りて