とうつきの本棚

本に纏わることの記録。

『ことり』小川洋子

長年幼稚園の小鳥小屋を掃除していた「小鳥の小父さん(おじさん)」が亡くなった。一羽の小鳥が収まった鳥籠を抱きかかえ、安堵してゆっくり休んでいるかのように亡くなった小鳥の小父さんの一生を振り返る物語。

 

とても静かな作品だった。作中によく"じっとしている"という言葉が登場するが、まさしく小鳥の小父さんは静かに"じっとして"その一生を過ごした。

金物屋の棚の上で埃を被った片手鍋、物置の中で忘れ去られた朝顔の支柱、公園の片隅にある塗装の剥がれてきた鉄棒……そんな静けさのある作品だと思う。

 

特徴的な人物として、小鳥の小父さんのお兄さんが挙げられる。お兄さんは十一歳を過ぎた頃から、自分で編み出した言語で喋りはじめる。世界中で唯一のその言語を、なぜか小鳥の小父さんだけは理解することができた。

小鳥のさえずりに似た発音のその言語をもって、おそらくは小鳥と意思疎通ができたお兄さん。独自の言葉を話し、僅かな環境の変化も嫌がり、時に偏執な様を見せるお兄さんは、一般的な視点から見れば何らかの発達障害者だと思われた。ただ、お兄さんの唯一かつ絶対的な理解者であり、かつ自身も不変的な日常を求める小鳥の小父さんの視点で描かれる本作では、「少し不思議な人だな」程度の印象に留まる。

 

世間との関わりや変化を最小限に、変わり映えが無いながらも静かな生活を送っていた物語前半は、非常に穏やかな気持ちで読むことができた。しかし、作中でとある人物が亡くなり、とある人物と離れたあたりから雲行きが怪しくなってくる。静かな生活に変わりはないのだが、どこか息苦しい。

不器用だが一人で変わらない生活を静かに送りたいだけなのに、周囲の変化や世間の目がそれを許してはくれない。どんどん変わっていく街並みや時代に取り残され、疎外されてゆく様がしんどかった。昔遊んでいた原っぱが、コンクリートで埋め立てられ小綺麗な狭い戸建てが建ったような感傷を受けた。

ただ、変わらない生活を求めながら、小鳥の小父さん自身も変わってしまったと感じる。年々お兄さんに似てきたような、或いはもともとその性質はあったのか…。

 

物語の冒頭で、小鳥の小父さんは亡くなっている。独居老人の孤独死を覗き込む野次馬だった視線が、物語を読み終えた時にはよく知る人物の死を悼む視線に変わる。この感覚の変化が印象深かった。

静かで悪くない話だったが、物語後半の”世間からはみ出した側の視点”で描かれる世界が少し苦しかった。人に勧めづらい作品だとは思う。

 

最後に。文庫版の解説の一文が良かった。

ただ生きているだけなのに――自分自身に偽りなく、真摯にシンプルに世界に向き合っているだけなのに、二人は社会の周縁(マージン)に追いやられていく。マージナルな人たちとは、まさに「取り繕えない人たち」なのだ。

文庫版・解説(小野正嗣)/p.310